外国人ホナルが見た日本!

元日本留学生の私が見た日本!

外国人が見た日本の物作りの奇跡、現代でも凄い「Made in Japan」。芸術的、細かい、中性的、自死的。

こんにちは、皆様、ホナルです。
第二回の投稿になっていますが、今回は日本の物作りに触れたいと思います。

皆様は「Made in Japan」にこだわっているのでしょうか。値段が高そうな、その代わりに質も高いイメージですが、その正体は一体何でしょうか。今回迫りたいと思います!

日本の物作りは「芸術」みたいと言われていますが、それはあらゆる分野に当てはまる言葉だと思います。「え、じゃ例えば芸術作品じゃなくても、日本製の物は芸術?」
日本らしく作られたら、そうだと考えられます。どういう意味で芸術なのでしょうか。
ドイツの哲学者カントは美は目的なしに存在していると論じています。日本製の物を鑑賞して、まさにそう感じられないのでしょうか。
何かのためだけに決して存在していません。
その物は例えば和食の料理であれば、食欲を満たすだけのために存在していなくて、そのままでも美しいのです。それで物は何かのために存在する手段や具じゃなくなって、一つ一つ自立して個々の存在意義を持ちます。 物への尊敬の表しでもあります。ただの使い捨てではありません。
場の雰囲気は平和的になるのです。その倫理的意味も大きいのです。日本の倫理感と他国の倫理感の違いについてはまた違う記事で述べたいと思います。一言でいえば、日本はできるだけ手がけなくて、自然状態を強調することに、特に西洋は最適化に重点を置きます。両方は大事なことだと思います。

日本の物作りに戻りますが、とにかく「細かい」のです。アニメの例を挙げると、声優さんの演技は世界一でしょう。日本ならのセンスで細かいところまでそのキャラにぴったりな声を出せて日々努力と工夫している声優さん達。その効果は他のところでなかなか聴けない超級演奏になっています。
食文化の例をあげると日本のお弁当は具材の相性とアレンジなど細かく考えていて、安くてもその日本型は守られています。

次に触れたいのは日本の物の「中性的」なところです。
男性的でも女性的でもない「Made in Japan」。最後の、目的の人間の有様は中性的なのかなとよく思います。だって、永遠に女性と男性では両方も不完全じゃないですか。元々も人間は中性的だったかもしれません。生産性の源も男性的要素と女性的要素の混じりから成り立つと言われています。日本の物はとにかく中性的なところがあるのではないかと。そう考えると、その最後の有様の例が普通に例えばお弁当としてコンビニに置いてあるのですね笑

最後は「自死」です。エゴのため存在しない日本の物。確かに誰かが作ったはずなのですが、作成者のエゴの跡が見当たらないのです。全ての自我念を捨てられた境界にあります。自我を捨てた魂にあふれています。例えば日本刀を見てそう思います!かっこういいですね!

さて、今回は日本の物作りに触れてみたのですが、皆様はどう思いますか。ご感想やご意見あったらぜひ聞かせてください!

ホナルより